月報 「聴診器」 2026/04/01
先日、福岡国際会議場などで第90回日本循環器学会学術集会が開催されました。循環器学会は大変大きな学会で、福岡で開催されるのはずいぶん久しぶりです。私も若い医師に混じって発表を行ってきました。様々なセッションも聴講しましたが、「皆の知識を集めて医学の発展を築こう」という気概にあふれていました。新しい知識や刺激を受け、日々の診療に還元したいと思います。
34.書評⑪ 「悪魔の細菌 超多剤耐性菌から夫を救った科学者の戦い」(ステファニー・ストラスディー著)
今回取り上げるのは『悪魔の細菌 超多剤耐性菌から夫を救った科学者の戦い』です。題名だけを見るとやや刺激的な印象を受けますが、その内容はむしろ非常に硬派な科学ノンフィクションです。同時に、困難に立ち向かう夫婦の物語としても読める、エンターテインメント性の高い一冊でもあります。
物語は、一流の科学者である夫が重症感染症に罹患するところから始まります。原因となったのは、ほとんどの抗生剤が効かない「超多剤耐性菌」です。現代医療において抗菌薬は強力な武器ですが、それが通用しない状況では治療の選択肢は極めて限られます。本書は、その極限状況の中で、一人の科学者が夫を救うために奔走する姿を描いています。
治療の切り札として登場するのがバクテリオファージです。これは細菌に感染してそれを破壊するウイルスであり、いわば「ウイルスで細菌を攻撃する」治療です。しかし、その臨床応用は決して容易ではありません。ファージにも多くの種類があり、どのファージがどの細菌に有効かを見極める必要があります。本書では、候補となる複数のファージを組み合わせた“カクテル”として投与しています。生物の複雑さと、それを医療として利用することの難しさを強く実感させられる場面です。
細菌とは数μmの大きさの微生物で、遺伝子や代謝機構など生物として必要な機能を自ら備えています。一方、ウイルスはさらに小さく0.1μm程度で、遺伝子とそれを包む構造から成り、増殖には宿主細胞の機構を利用します。抗生物質は細菌には有効ですが、風邪などのウイルス感染症には効果がありません。そして本書で問題となるのは、その抗生剤が効かない細菌です。
多剤耐性菌は突如として現れた脅威ではなく、長年にわたる抗菌薬使用の積み重ねの中で生み出されてきた側面があります。抗菌薬は細菌感染症の治療に不可欠ですが、不必要な投与や漫然とした長期使用が耐性菌出現の一因となってきました。私自身、可能な限り不必要な抗生剤投与は避けるよう心がけています。しかし、感冒で受診された患者さんの中には抗生剤の処方を強く希望される方も少なくなく、対応に苦慮することがあります。その場では一人の患者さんへの対応に過ぎませんが、こうした小さな積み重ねが、やがて多剤耐性菌という大きな問題につながっていくのかもしれません。本書で描かれる出来事は決して特殊な一例ではなく、私たちの日常診療と地続きの問題であると感じさせられます。
上野循環器科・内科医院 上野一弘



