月報 「聴診器」 2025/11/01
前回、「涼しくなったなー」とのんきなことを書いていましたが、急に寒くなってきましたね。寒暖差が激しく、体がついていかない方も多いようです。今年の夏には、多くの患者さんで降圧薬や利尿薬を減量もしくは中止していましたが、急激に寒くなったので、血圧の上昇や心不全の悪化が懸念されます。体調の異変や血圧上昇があれば受診をしてください。
- 書評 ⑥『白い航跡』吉村昭著
前回は司馬遼太郎でしたので、今回はもう一人の歴史小説の巨匠、吉村昭の『白い航跡』を取り上げたいと思います。モデルは慈恵医科大学の創設者・高木兼寛。明治期の日本で、脚気という国民病と闘い、西洋近代医学の理念を根づかせた人物です。
高木兼寛は今の宮崎県出身で、当時は薩摩藩の一部でした。このため戊辰戦争の際には薩摩藩の軍医として従軍し、それをきっかけに薩摩医学校に進学します。ここで出会ったのが、イギリス人医師ウィリアム・ウィリスでした。高木は彼のもとで医学を学び、その後海軍に進んでイギリスに留学します。当時、医学にはイギリスとドイツという二つの潮流がありました。イギリス医学は観察と統計に基づく「実証的医学」「疫学的方法」を重視し、ドイツ医学は病理学や細菌学など理論体系を追求する傾向がありました。
イギリスでは、壊血病の原因を探るためにレモンジュースを飲ませる船と飲ませない船を比較する実験を行い、後者で罹患が多いことから柑橘類を採用しています。重要なのは、「ビタミンC欠乏による病因」が究明される前に、経験的・統計的根拠から対策が講じられた点です。高木はこのイギリス流実証主義を徹底的に学び、優秀な成績で帰国しました。
海軍軍医総監となった高木を待っていたのは、当時国民病と恐れられていた脚気でした。手足が浮腫み、倦怠感が進み、最終的には死に至る病で、その原因は不明でした。特に軍隊では多くの若者が脚気に罹患し大問題となっていました。高木は、軍隊の食事が白米中心であること、欧米では脚気がほとんど見られないことに注目し、「脚気白米説」にたどり着きます。
ここで登場するのが森倫太郎、すなわち文学者・森鷗外です。東大医学部出身のエリートで、ドイツに留学して細菌学の巨匠コッホに学びました。ドイツ医学の信奉者であった森は「脚気細菌説」を唱え、一方の高木は「栄養説」を主張します。海軍で食事を改善した結果、脚気はほぼ撲滅されましたが、病因が不明のままであったため、理論的裏づけを欠く高木説は学会で認められませんでした。結果として、陸軍では森の影響で対策が遅れ、日露戦争では脚気による多くの死者を出す悲劇を招きます。後年、ビタミンB₁の欠乏が脚気の原因と判明し、高木の見立てが正しかったことが証明されました。
私の医局の先輩である吉村道博先生が、慈恵医大の教授として赴任される前にお話しする機会がありました。そのとき『白い航跡』の話をしたところ、「自分も高木兼寛と同じ宮崎の出身なんですよ」ととても喜ばれたのを覚えています。
吉村昭の作品はどれも秀逸で、静かな文体は説得力を感じます。作品対象は、歴史人物から脱獄犯まで多岐にわたりますが、今話題の熊についての作品もありますのでぜひ手に取られてください
上野循環器科・内科医院 上野一弘



